●2001年度〜2002年度●

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テーマ
03・03月例会 「子どもから学ぶネットワークケアーの重要性−小児科医の立場から」
03・02月例会 「教師生活38年の経験と阿波踊りから学んだこと」
03・01月例会 「動作法で自分の体をリラックスさせよう」
02・11月例会 「音楽に親しもう-マリンバ演奏会」
02・10月例会 「ロールプレイ−親の気持ち、子の気持ち」
02・09月例会 「発達支援と共助連についていま語っておきたいこと」
02・07月例会 「発達がちょっと気になる子どもの理解のために・2」
02・06月例会 「発達がちょっと気になる子どもの理解のために・1」
02・05月例会 「私が発達共助連とアメリカ留学から得たもの」
02・03月例会 「私の子育て奮闘記」
02・02月例会 「大蔵たろう物語―チーム医療・共助連を問う―」
02・1月例会 「スクールカウンセリングの現場から」
01・11月例会 「思春期、青年期の心と体の発達とその対応」
01・10月例会 「LD児への読み書き指導事例」
01・09月例会 「発達障害をもつ人の普通の生活をめざして」
01・07月例会 「小さな学校の大きな冒険−宮澤学園高等部湘南校の実践−」
01・06月例会 「自閉症の療育」
01・05月例会 「38年間の教員生活を終えて、今語るべき事」


◆2003年3月例会

日時:3月14日(金)PM7:00〜9:30                
場所:世田谷区砧図書館地下集会室
参加者:40名

テーマ:子どもから学ぶネットワークケアーの重要性−小児科医の立場から

講師:田原 卓浩さん(国立成育医療センター総合診療部小児期医療科医長、発達共助連理事)
<内容>
国立成育医療センターの田原先生が、ご実家のご都合で同センターを去られ、郷里でクリニックを継承されることになりました。
元国立大蔵病院の隔離室(心理室)で伊澤先生が子ども達への発達支援を細々と続けていた10年前、田原先生は小児科の医長として赴任されてきました。即座に「発達共助連」の意義と有効性を誰よりも理解してくれました。(たぶん当の伊澤先生以上にかも?…)
共助連活動の要はネットワーク・ケアであることを指摘していただき、またチーム医療の必要性を発信し続けてくれました。それまでの小児科心理外来では軽度発達障害の確定診断ができませんでした。それを他の病院のような一人の医師による誤診断の多いものではなく、チーム医療による精度の高い診断を実現してくれました。その診断をもとに個人療育プログラムが作成され、「発達共助連」のネットワーク・ケアにより具現化しました。発達支援者には医学的な根拠が与えられ支援の成果も飛躍的に上がりました。耳鼻科・眼科・精神科とも連携が進み、最終的には「成育心理外来」として結実しました。
病院業務の枠を悠に越えた田原先生の英断によりそれらは実現できたのです。父親や教師との連携のための5時から診療(会計さんには迷惑をかけました)。緊急避難のための入院。看護師さんの参加。診断会議への院外の専門家の召集(医師、教師、教育相談員、DS)。すべての責任や軋轢を一人で負い、支援していただきました。
この時期に田原先生が国立成育医療センターを去る意味は大きいです。これからの医療にもこの責任ある英断を願います。(文責/阿子島茂美)

<2003年2月例会に出席して>

この度は、大変残念なことに田原先生がセンターを辞められることになりました。田原先生と共助連との関係は、3月通信の「例会お知らせ」に阿子島先生から紹介していただきました。共助連にとっては、欠かすことの出来ない先生でした。田原先生からは、今後の共助連のことも心配していただき、センターへこのチーム医療の形態を継続できるように取り計らっていただいていたようです。今回はセンターの概要、方向性、共助連との関係、そしてチーム医療の重要性などのお話を伺いました。
我が家では、田原先生とは、祐平の出生児の病気の治療をしていただいて以来、しつこくつきまとっておりまして、大変信頼しているお医者様です。今までにも何かあるごとに相談させていただき、心強く思っておりました。ですから勝手に我が家のホームドクターと決めておりました。日本にはこういったホームドクター(ファミリードクター)という制度が無く、お医者様を選ぶ事は一般的ではありません。共助連で行ってきた病院、学校、そして家庭との提携は、それぞれが歩み寄らなければ成り立たず、なかなかうまくことが運びません。人間に対してプロデュースするという言い方は、適当ではないのでしょうが、子供を育てていくときに、ただの病気でもなく、怠け者でもなく、どこに相談したらいいのか分からない、そんなときの窓口にで合うことが出来ました。途方に暮れる事もなく、親も子育てに対し自信がもてるようになると思います。田原先生は、その糸口になって下さったのですね。
田原先生も共助連も、あくまで寺子屋的なボランティアです。共助連発足から十数年この連を支えてきた方々、お仕事以外の時間を惜しみなく費やしてくださった熱き先生方、運営されてきたすべての方々に感謝したい気持ちでいっぱいです。今後、共助連がどのように発展していくのか見通せませんが、私がこの様な気持ちになれた事は、共助連を通してであえた方々のおかげだと思い、まだまだ悩みつきないけれど一人で悩まず相談できる仲間も出来ましたので、きっと乗り越えられると信じてます。
(通信担当:渡部清美)。

◆2003年2月例会

日時:2月28日(金) PM7:00〜9:00
場所:阿佐ヶ谷区民センター
参加者:13名

テーマ:教師生活38年の経験と阿波踊りから学んだこと

講師:松田 長門さん(元・小学校長、東京阿波踊り振興協会副会長)
<内容>
2002年8月の高円寺阿波踊り、そして2月共助連の忘年会でも阿波踊りを楽しませて頂いた松田さんの体験談。小学校教師として38年間 管理職よりも現場にと、子ども達、親達、地域を愛し 面倒をみて来られた経験が地元高円寺の阿波踊り協会の役員として 更に輪を広げられていったようです。
“教師とは、心に残る授業で勝負することである。子どもの目と心は正直である。”“一に健康、二に人柄、三,四がなくて五に努力!管理職よりは、授業をできた担任の方が楽しかった!”と言われるように子ども達をこよなく愛し、楽しく厳しくを信条に38年間小学校教育に携われたそうで、人の嫌がる事を受け、数々の難問をこなされた事が、教え子ばかりでなく父母や地域からも深い信頼をうけていらっしゃるよう
です。
その一端が共助連の阿波踊りなのですね!松田さんの経験を交えながら阿波踊りを通した地域や子ども達とのかかわりについてのお話が伺えます。私達も“連”がつき、共感するものや学ぶもの そして人へのいとおしさも教えてくださりました。

<2003年2月例会に出席して>

松田先生の人間的魅力、あの笑顔とパワ-はどこからやってくるのだろうか?とても73歳にはみえない。小学校教諭約40年、今現在は東京阿波踊振興会副会長であり、地域に根ざした活動をしている。多忙である。

2月の月例会では、小学校教諭時のお話を伺う事ができた。
心と身体で生徒と共にぶつかってこられた教育。特に見放されてしまった生徒(学校に来れない子、何か問題のある子)等との対応には、数多くの体験から、松田先生の教育者としての奥深い強い愛を感じた。教え子の名前と顔をいまだに覚えておられる。
お話の中で、1クラスから16名の結婚招待状が届いたそうである。
月日は流れても、松田先生との関わりあいの中で何かを深く心に受け止めた子供達。その事が原動力となり大きく羽ばたいて行く。その結果が、教え子達といまだに続いる有縁ではなかろうか?
いやな事を率先してやる。あの日松田先生は6時に会場入り。おそらく一緒に会場作り。終った後もテ-ブルをかたずけていた。それに比べてこの私、申し訳ない。そしてあの日、自転車組が3人いた。
阿佐ヶ谷から祖師ケ谷へ馬越さん、府中まで帰る渡辺君。そして中野へ向う松田先生である。驚いた。月例会に足を運ぶことで、目にはみえない何かをいただいた日であった。
月日はだいぶ立ってしまったのだけれど、振り返れば去年の夏。
共助連として阿波おどりに参加するにはどうしたらよいのか。相談にのって下さったのが、松田先生でした。『にわか連』で始めて踊る事ができました。
そして、昨年の忘年会。
松田先生率いる『東京えびす連』の方達が来て下さいました。ほんもの阿波踊りの登場。始めてみる阿波踊り。興奮しました。
確か、松田先生はテニスをされるそうであるが、地域の方達がテニスばかりしないで阿波おどりを手伝ってほしいとの事で、自然に東京阿波踊振興会副会長になられたように聞いている。その松田先生司会進行のもと、気がついたら沢山の方が、大きな輪になり一緒に踊る事が出来ました。
それぞれになにかを感じ、心に残る忘年会となりました。
松田先生そして『東京えびす連』の皆様へ感謝!御礼!の一言です。
今年の夏も、まちがいなく阿波踊りがやってくる。
なんらかの形で、やっぱり参加したいと思っている私であります。
(家族連員/佐久間峯子・記)

◆2003年1月例会

日時:2003年1月24日(金)PM7:00〜10:00
場所:祖師谷地区会館
参加者:10名

テーマ:動作法で自分の体をリラックスさせよう

講師:山口 久恵さん(スクールカウンセラー、開成学園中・高 教育相談員)
<内容>
動作法とは、自己弛緩、動作体験をクライエントとセラピストの相互関係から行う方法。
自分が意図的に体を動かし力を入れることによって、緊張の部分を再確認し、自分が入れたその力を抜いてみることで、うであったかを感じとります。
実際、横になったり、ペアーを組んで体験すると、普段緊張を意識せずにいる恒常緊張や過剰適応が原因となる不当緊張も発現。山口先生の明確な指導のもとで心も体もHOTにリラックスした時間が持て 10時近くまで時間を延長してしまいました。

<2003年1月例会に出席して>

「自分の体をリラックスさせましょう!動作法から学ぶ」に参加して
いつも久しぶりに参加で今回も緊張気味でしたが、大広間で実際に体を動かし始めるとすぐにその雰囲気に入って行くことが出来ました。山口先生の「リラクゼーションが難しいのは、緊張している自分に気づかないから、その為に一度力を入れて緊張の感じがどこにあるのか気づき、それは自分が入れたと分かればその力を抜けばいい」と言うお話に「なるほど!」と思ったのですが、実際にやってみると、これが難しく力の入れ方が分からなかったりしているのに違う所に入っていたり…。それでもスーと緩んでいる感じに「あっこれだ!」と分かった時は不思議な感じがしました。
色々な動作をうまくできたり出来なかったり(特に補助がうまくできなくてごめんなさい)でしたが、“自分で入れた力を自分で抜ける”という何か当たり前でありながら意識していなかったことを教えていただけたのが、良かったと思います。
いつも訳の分からない緊張をしている私にとって、この動作法を日常生活に活かせたならと思いました。いろんな動作での姿勢をしているうちに予想の時間もとっくに過ぎてしまいました。その晩はとても寒かったのですが、帰りは何か身体が暖かくちっとも寒さを感じませんでした。
(荒井公子:記)

◆2002年11月例会

日時:11月9日(土)午後3時〜5時30分
場所:スタジオ「青蘭」(杉並区・南阿佐ヶ谷駅近く)

テーマ:音楽に親しもう-マリンバ演奏会

講師:望月 恵理子さん(発達共助連連員)
<内容>11月の月例会は、趣向をがらっと変えて、連員・望月恵理子さんの「マリンバ演奏」(これが本職)を楽しみました。
前半は子どもたちも楽しめるような曲目を中心に行い、後半は本格的な演奏をしていただきました。

<11月例会に出席して−感想・1>

土曜日の午後のひとときマリンバの演奏を聞きながら、ティータイムには手作りのケーキをいただき、ゆったりと時間を過ごしました。慌しく仕事場と家とを往復する毎日にふといただいた安らぎのひとときでした。
子どものころ、テレビで演奏されるマリンバをみて、「どうしてあんな音がでるのだろう」「あんな風に撥を揺らせばあの音がでるのかしら」と、手もとにある山吹色の木琴と見比べて不思議に思っていたことを思い出しました。
演奏者は望月さん。古典的な名曲から童謡、美空ひばりまでが次々と繰り出しました。シンプルな木と撥だけの楽器なのに、叩き方ひとつでこんなにもさまざまな音色を奏でることができるのかと、その手の動きから目がはなせませんでした。これまで私の知っている望月さんの手は子どもたちのお弁当を作る手、スキーのストックを持つ手、キャンプでバーベキューの肉を焼く手…。今、マリンバを演奏する手にであいました。共助連だからこその出会いでした。
そして持ち寄られたケーキ。作ったことのない私にはただただ尊敬の手仕事。
このマリンバ演奏会は、共助連では初めてのイベントだと思います。マリンバの演奏を聴くために集まり、演奏する人、聞く人、ケーキを作った人、おいしくいただいた人…。それぞれの関わり方で、一緒に過ごした土曜日の午後。これは共助「連」そのものですね。共助連の「連」は、阿波踊りの「連」。ひとつの目的で集まって、一緒に踊り、祭りが終わるとそれぞれに散っていく…。
良い時間を過ごせたことに感謝。
(アドバイザー連員/阿子島茂美・記)

<11月例会に出席して−感想・2>

望月恵理子さんのマリンバ演奏会。手の届く距離での生演奏。大人も子供達も共に共存しつつ、違和感のないなごやかな雰囲気の中、心地よいひとときに酔いしれる事ができました。
棒を手に持ったらプロの顔。左右2本ずつ持った棒が望月さんの手にかかると、鍵盤の上を自由自在に走りまわる。まるで魔法の手にみえてしまった。それもすべて暗譜。スゴイ!
望月さんの頭の中はどうなっているのだろうか?
曲目もクラシックから、川のながれのように、古時計等 バラエテ-であった。時にはやさしく、時には激しく、その身体全体からあふれでる音楽、リズム感の良さにスカットしてしまいました。そう、一曲一曲ひきつけられてしまいました。
特に、マリンバの低音の音。しばし酔いしびれてしまった私でした。
知典君、直典君のママだけではもったいないですね。おそらく他の演奏会場で望月さんの演奏を聴いたら、相当のチケット代はとられた事でしょう。
休憩タイムには手作りのケ-キまで頂き、なんと贅沢な一日だった事でしょうか。久々に良い音楽を聴いた後は心が満たされ、『ン〜恵理ちゃん、すばらしい!また聴きたい!』。
機会がありましたら、又このような企画をお願いしたいと思いました。
望月さん、素晴らしい演奏会をありがとうございます。そしてお疲れ様でした。
(家族連員/佐久間峯子・記)

◆2002年10月例会

日時:10月26日(土) PM 3:00〜6:00
場所:世田谷区砧図書館

テーマ:「ロールプレイ−親の気持ち、子の気持ち」

講師:田辺朋江さん、畔上理佐さん(何れも共助連アドバイザー連員)
内容:(講師のレターより)
ロールプレイは、寸劇のようなものですが、日常的な場面の中の『子どもの役・子どもの気持ち』『親の役・親の気持ち』と取り上げる予定です。『こんな言葉を子どもに投げかけられたら、親としてなんと返す?』『こんな言葉を親に投げかけられたら、子どもとしてどう感じる?』
ロールプレーを通して、あれこれ感じたり、考えたり、他の方といろいろな気づきを共有したりするきっかけを作りお手伝いできればと思います

<10月例会に出席して-感想>

ロールプレイは全く初めてだったのでかなりドキドキしてました。 
私って人と関わるの苦手なんですよね。(自分では相当内気のつもりです)ロールプレイを聞いて自分はいつもどんな風に子供と接しているだろう?でも、ああいう風にしてもわが子はこういう風にしてはくれないだろうな・・・と頭をよぎります。う〜ん・・・
しかし!最近長男は学校でうまくいかなくて「学校、行きたくない」と言い出しました。家では落ち着いてるし朝は機嫌よく登校するのですが、他の保護者から心配の電話が入ったりランドセルを道端において泣いて帰ってきたりして・・・困ったなぁ。
理由を本人に尋ねても「学校嫌だから」の一言で具体的な事はさっぱり分かりません。いつもなら深く問い詰めることもなく終えてしまうのですが、今回は違いました。「学校の何処が?先生?友達?勉強?」「全部!」 一つずつの確認です。
クラスメートの名簿を出して一人一人〇△×をつけたり、科目毎に国語なら漢字、作文、本読み等何が嫌なのか詳しく聞きました。
最終的に担任の先生が辛く当たってるらしいと私は判断。ここまでに2時間ほどかかりました。2日後にも「学校、嫌」で又1時間半。相当疲れましたが長男の気持ちを一旦「そうなんだね」と受けとめてから引き出す事が出来たのではと思います。田辺先生のロールプレイに行った甲斐あり、ちょっとは活かせたかなー?と自負しています。(その後、田辺先生にその事を話すとお褒めの言葉を頂きました。うふふ・・・)
昨日は畔上先生に学校訪問して頂きました。私は敢えて参加しませんでしたが、スクールカウンセラーの村社先生(アドバイザリー会員として先月入連して下さいました)から「すごかった!」と一言報告を頂いてます。今回の「学校、嫌」がどう落ち着くのかは分かりませんが、共助連に入ってて良かったー!私一人ではパニックになって長男を責めていたかもしれません。ちょっとロールプレイの感想から外れたけど皆様に感謝!感謝!です。
(家族連員 高橋寿美・紀)

◆2002年9月例会

日時:9月14日(土) PM 3:00〜6:00
場所:杉並区梅里集会所

テーマ:発達支援と共助連について語っておきたいこと

講師:伊澤 正雄さん(発達共助連副代表/セラピスト)

<9月例会に出席して-聴講報告>

9月の月例会では、伊澤正雄さんより「いま発達支援と発達共助連について話しておきたいこと」をテーマに、発達共助連への想いをたっぷり披露していただいた。
特に発達共助連前史ともいうべき、1980年代の活動を詳細に語られることによって、「発達共助連の精神の原点」ともいうべきものが改めて示された。
特に今でいうDSが如何に意欲と活気に溢れていたか、助っ人たちがさまざまな場面で強い力となっていたか、彼らが伊澤さんとともに如何に病院外におけるネットワークケアの実現に奮闘してきたか、そしてネットワークケアの理念を自分のものとして自然体で受け取め、発達共助連の礎を築いて来たかを熱く語った伊澤さんの「発達共助連よ、もっとしっかりせい」というメッセージと受け取れた。
ネットワークケアについて、
「“1本の糸”は、いわば“個対個”の関係であり、切れたらおしまい。また、治癒力を高めるためには、個の力を増すしかないが、太くなった糸は、柔軟性に欠ける。一方、網の目になった糸は、“個対多”の関係で、2〜3本切れても、役目は果たせる。治癒力を高めるためには、結んでいる本線を増やせばよい」
と語ったのが、印象的だった。
そして、地域療育集団が担うべきネットワークケアについて、
(1)児の環境の調整
(2)DSを中心とした個別の発達支援
(3)その時現在、児の状況に混乱している親に対する支援
(4)“場”の共有(各種キャンプ、飲み会等)
の4つを“ネットワークケアのための4つの行動目標”として定義し、それぞれについて詳細な理由を展開した。そして、これらの継続こそが、ポイントである、と強く指摘された。地域療育集団としての発達共助連が担うべきものを、そして継続的に強化すべき点を改めて指摘された思いがした。
加えて、発達支援を必要とする子どもたちに対するネットワークケアを機能させる医療機関におけるチーム医療体制にも触れて、国立成育医療センター総合診療部・田原先生が去る8月に開かれた日本思春期学会において、旧大蔵病院成育心理外来を「心理療法士を中心とした21世紀型外来」と断じたことも紹介された。
この理念がいつの日か全国の各地で日常的に行われるようになるよう、発達共助連としてもメッセージを発信し続ける必要性をここでも痛感した。謝々!伊澤。
なお、その後の「飲み会」は、ついに「鬼無里」を完全占領してしまうほどの参加者であったことも報告しておこう。
(川戸 康暢・記)

◆2002年7月例会

日時:7月27日(土) PM 2:00〜6:00
場所:杉並区産業商工会館

テーマ:「発達がちょっと気になる子どもの理解のために・2-前庭覚」

講師:木村 順さん(うめだあけぼの学園作業療法士、淑徳大学・上智大学社会福祉専門学校講師)

<内容>6月例会に続いて木村さんの話を伺いました。今回は、前庭覚(体が受ける重力や移動、回転などを感じるバランス感覚)をメーンに、力のこもったお話を伺い、連員一同大いに学びました。

<7月例会に出席して-聴講報告>

一回目の講演の時はなかなかわかりづらく?????という思いで帰ったが、2回目の講演では具体的な話をどんどん進めてくれたのでわかりやすかった。
私は養護学校で教員をしているので、聞きながら、○○くんにもあてはまる、○さんにもこの実践をやってみたいといろいろ思いを巡らせていました。
しかし、実際問題ブランコ一つにしてもどこに取り付けるかなど設備的にもすぐに揃えられるわけではないので、そこが難しいところです。これから自分でももっと勉強して実践に役立てていきたいと思います。
(養護学校教諭/三澤 吾郎・記)

◆2002年6月例会

日時:6月21日(金) PM 7:00〜9:00
場所:杉並区産業商工会館

テーマ:「発達がちょっと気になる子どもの理解のために・1-固有覚と触覚」

講師:木村 順さん(うめだあけぼの学園作業療法士、淑徳大学・上智大学社会福祉専門学校講師)

<内容>講師の事前レターから
発達に多少のつまずきを抱えている子ども達は、本人の怠けや親の育て方のせいではありません。脳の中の入ってくる様々な感覚情報を交通整理していく脳の機能に起因しており、感覚統合を理解するための「固有覚」「触覚」について学びます。

<6月例会に出席して-聴講報告>

6月21日に開催されました6月月例会「発達が気になる子供の理解のために」を聴講させていただきました。
五感のような表在した感覚以外に
1.固有覚(筋紡錘、腱紡錘(筋肉や腱のなかにセンサーが取り付けられていて、筋肉などが伸びているのか縮んでいるのか姿勢の様子を検出する器官)から伝わる信号。)、
2.触覚(触った感じが識別系と呼ばれ、本能に基づく原始系(敵から逃げる、戦う、獲物を捕まえる時に使っている感覚)があり、原始系を識別系で抑制することによりバランスを保っているそうです。)、
3.前庭覚(次回説明があるはずです。)
があることを学びました。
1.固有覚について朧げながら理解したことは、「神経の信号の伝達がうまく行われていない。信号が伝わる閾値が高くなっているが、強い信号を入力してあげれば、ある一定時間は閾値を下げることができるので姿勢や運動の制御が可能となる。」いうことでした。
これは、ビデオで紹介された、感覚統合機能障害(ADHD、LD、アスペルガー等に現れている症状を神経生理学的に説明した名称。)のお子さんを横揺れする宙吊りの円筒マットに乗せて、非常に大きな振幅を加えるときちんとしがみついて落ちないけれども、少し揺すると簡単に落ちてしまうということの説明です。
少しの揺れでは重心のずれを検出できないのでバランスを崩すところが、大きく揺らすと信号が伝わって落ちないようにしがみつくという動作につなげることができていました。
さらに、そのマット乗りの前後でフィールドアスレチックに用いるようなネットの伝わり歩きをさせたところ、マット乗りの後では比較的上手にこなすことが出来ていました。つまりある程度は信号が伝わりやすくなって、かつ、伝わりやすさが持続するということです。
今回のお話では残念ながら効果は数時間というお話でした。Hyperactivityのお子さんは信号伝達が途絶えると、自分で走り回ったりして信号を入力することにより姿勢を保つなど運動機能の維持することを試みていることが、多動として現れているそうです。そうしないとじっと座って体を支えることも困難になってしまうので。そこで、学校に行く前に公園でブランコに乗せてブンブン振り回してあげれば午前中程度ならば走り回らなくても、じっと座って体を支えることが出来るというお話でした。
こういうお話を伺うと、「じっとしていなさい。」などとは口が裂けてもいえないですね。玲にも、ソファーの上で体をブンブン振り回したあとで、自転車の練習をさせたところ、バランスを取れる時間が増えたような増えないような。ブンブン振り回されることについては、「怖い、楽しいからもっとやって。」と喜んでおりました。自転車の練習では、バランスを崩して転んで痛いと怒っておりました。
2.触覚については、髪を切るのを嫌がる理由についてのお話がありました。
上述したように、原始系を識別系で抑制することがうまくいっていない障害であり、髪を切るために接触されたことを、敵からの攻撃と本能判断して嫌がるという態度に現れているそうです。
お母さんが子供に触ろうとして避けられたからといって、嫌われているわけではなく、本能の働きであるという認識をもつと、そういう場面でのショックも少しは低減されるのではないでしょうか。残念ながら障害の存在についての懸念は拭い去ることは出来ませんが。子供のほうからは触れてくる場合には回避行動は出てきませんので、「自分勝手な」行動をとっているわけではないそうです。それから、柔らかいものが苦手というところも信号の伝達がうまくいっていないことを現しているようです。
(家族連員/保田宏一・記)

◆2002年5月例会

日時:5月31日(金) PM 7:00〜9:00
場所:杉並区阿佐ヶ谷区民センター

テーマ:「私がアメリカ留学から得たもの」

講師:長谷川 菜菜さん(家族連員の子弟)

<内容>講師の事前レターから
去年の6月、アメリカから帰ってもう1年近くになる。受験、アルバイト、大学に入学してと忙しい毎日で、すっかり留学の印象も薄れてしまった。留学中つけていた日記を読み返してみたら、まるで他人のすごした1年間を見たような気さえした。帰国してからあまりに簡単に馴染みすぎて、留学から何か得たのか、どんな影響を受けたのか、どうも自分が変わったという実感がわかない。ここでもう一度、私にとって大きな意味を持っていたはずの1年間について、思い出す機会を得られて嬉しく思う。(長谷川菜菜:記)
(注・長谷川菜菜さんは、小学校時代、不登校で苦しんでいましたが、今年、現役で東京外国語大学に入学されました)

<5月例会に出席して・1>

子どもと同じ学校の先輩、そして共助連の先輩でもある長谷川菜菜さんのお話を伺えるのを楽しみにして例会に行きました。
お話しを聞きながら感じたのは、菜々さんが自分の考えをきちんと持っていて自分自身を大切にしている方だなということです。小学校時代のことも淡々とお話される姿に、この数年間の中で得るものが多かったのでは?と勝手に思っていました。特に親元を離れての留学は、寂しさなども併せ持ちながら彼女にとって大きなステップ・アップにつながったことでしょう。目標だった留学ができてハッピーという人とのスタンスの違いを感じました。とても自然体で、ステイ先での経験もあるがままにうけとめてらした様子でした。
それにつけても、ステキなご両親をもたれて幸せなお嬢さん!菜々さんを見守るお二人の愛情がそのまま彼女の成長をサポートしてこられたのでしょう。このあたりは私にとって一番に見習うべきことです。我が家の子ども達が、留学できるかどうかはわからないけれど、一度しかない人生で自分を外から見つめなおすチャンスは手に入れてほしいなと思っています。また機会がありましたらお話きかせて下さい。
(馬場敬子・記)

<5月例会に出席して・2>

このところ、共助連の活動からちょっと離れておりました私ですが、5月月例会で長谷川菜菜ちゃんが話をしてくださると知り、何が何でもと、張り切って参加しました。
会場につくと菜菜ちゃんは、いつもの通りにこやかに「何も考えてきてないんです。」と落ち着いた様子。大丈夫かしらとほんの少し心配になりましたが、全く無用な心配でした。菜菜ちゃんは、アメリカでの留学生活を、よどみなく、ときに笑いを取る余裕も見せながら話してくれました。留学の1年間を、反省点を含め冷静に振り返り、自分が何を得て、どういう影響を受けたかを語る菜菜ちゃん。実に大人に見えました。彼女との密な付き合いはほんの短い間であった私なのですが、心から誇らしく感じました。
菜菜ちゃんの話の後、当日同席されていたご両親が、小学生時代菜菜ちゃんが不登校状態であったときの話をされました。そのときのご心配、対応などを、率直に語られたのですが、中でも印象的だったのは、ご両親それぞれが、菜菜ちゃんの違った面を見ながら支えてこられたということでした。さまざまな高い能力をもつ一方苦手なこともあった菜菜ちゃんですが、その高い能力に注目し、それを伸ばす機会を与えてこられたというお父さん。一方それとは逆に、菜菜ちゃんの苦手な部分に注目し、そこを補う方法を考えてこられたというお母さん。そして、長谷川家には、菜菜ちゃんの大変さを理解する暖かさと、その成長を信じて支えていくエネルギーもあったように私は思います。自分の弱点や、過去の失敗をも笑顔で語れる菜菜ちゃん、彼女の今の成長は、これらのうちどのサポートが欠けていてもなかったかもしれないと感じました。
大学に入学した菜菜ちゃんは、勉強に励みながら、現在人との関わり方について模索中のようでした。でも今の菜菜ちゃんなら、そのうちきっと答えが見つけられると私は思います。
菜菜ちゃん、またおいしいものでも食べに行きましょうね。
(平木こゆみ・記)

◆2002年3月例会

日時:3月29日(金)午後7時〜9時30分
場所:杉並区産業商工会館  参加者/43名

テーマ:「私の子育て奮闘記」

講師:杉谷 邦子さん(DS連員・杉谷開君のお母様)

<内容>共助連のDSとして、杉谷開さんは、子供たちがその参加・到着を文字通り首を長くして待つほど共助連の野外活動に欠かせない存在となています。26歳の彼は、、LDやアスペルガーなどの理解を得るには、ほど遠い時代を経てきました。その、杉谷開さんの母親として、苦難をのり越えてこられた体験を「子育て奮闘記」の形で伺いました。た。以下は、事前に講師が今回の内容について書かれた文章です。「昨年の秋、Kは26歳にして初めてアスペルガー症候群との診断を得た。子供時代、私がつい「健常児の親」をやってしまうとKの発達は後退し、「障害児の親」にたち返るとKとの間に豊かな世界が開け、Kは伸びていった。子供が軽い発達障害を持っていても診断がつかず、受け皿も無いそんな時代だった。発達を促す目的で私ががむしゃらにくり出したkへの働きかけ、その適不適を皆さんと共にふり返ってみたい。」
どんな話にも増して、連員にとって、大きな力を貰え、自らの方向性を見い出す鍵となった月例会でした。

<3月例会に出席して>

3月29日共助連の講演会で杉谷さんの話を伺いました。開君の成育に関して、2時間も超えるお話しをして下さったことに感謝しています。「親子でいくつもの山を乗り越えてきたんだな。お母さんはすごいバイタリティーだな。」と思いました。杉谷さんが自分の経験を踏まえて最後に話したこと、今でも強く心に残っています。「誰だって、そのひとを知ろうとしたとき、手がかりはある。つながろうとする努力さえあれば、自分が伝えたいことも必ずわかってもらえる。その人に合った分かり方を発見していけば。」
お母さんは、小学校高学年のとき、自分の仕事をやめ、開君にずっと寄り添ってきました。そのより寄り添い方がとても素敵だと思います。子ども会の仕事をすることで、他の子供の中にわが子を置いて、共に育つことを模索していたこと。また、自ら英語検定試験にチャレンジして、自分も学びながら開君に教えていたことなど、誰にでもできることではありません。とかく親は、「わが子さえよければ」だったり、親の考えを一方的に押しつけたりしがちです。きっと、お母さんの生き生きとした姿は開君にとって、この上ないプレゼントだったにちがいありません。
その中で開君は、「自分とはなにものか」ということにこだわって成長してきたのだと思います。時には勉強に集中し、ときにはケンカし、時にはひどく落ち込むというように。そして「自分が何者か」知りかけたとき、共助連の人々に出逢ったのだと思います。それはとてもラッキーなことだったと思います。何かをしたいときに、できる「場」があったからです。今、自分は社会に開かれているのだと実感しているのだと思います。その名のとおり。
「自分とは何者なのか」これは私たちにとって永遠の課題です。何かキーワードを与えられたとしても、自分ひとつの側面にすぎません。でもその一つを知ったことで得られる自信と勇気がひとまわり大きな自分を創り出していくのだろうと思います。私は飲み会の席で開君と偶然となりになり、話す事ができました。アスペルガー症候群という病名は彼をもう一つ大きな自分にするためのもう一つ大きな自分ににするためのステップ台なのかもしれないと思いました。希望をもったそして穏やかな話しぶりにそれを感じました。同じアスペルガーの人々のための共同作業所のような仕事をしたいと言ってました。私に何かできることが一つでもあれば……という思いで、さようならしました。
(一瀬清・記)

◆2002年2月例会

日時:2月23日(土曜日)PM2:20 〜 4:00
場所:杉並区高井戸地域区民センター 参加者/57名

テーマ:「大蔵太郎物語―チーム医療・共助連を問う―」

講師:伊澤正雄さん
<内容>発達共助連の生みの親・伊澤正雄さんが国立大蔵病院で心理の活動を始めて19年の月日が流れてました。当初は小児科心理外来として、「隔離室」の看板のかかった小部屋でのセラピー、院外活動の放牧会。それが成育心理外来となり、院外活動も発達共助連として成長してきました。
国立成育医療センターのスタートに伴い、発達共助連の第一幕が終わり、新生・共助連としてスタートするのを機会に、これまでの国立大蔵病院病員成育心理外来でのチーム医療と共助連活動のネットワークについて、「大蔵太郎」くんという架空の子どもを事例として、総括的な話をしていただきました。伊澤さん製作のコンピューターの画面を使ったプレゼンテーションで、初めて成育心理外来のチーム医療の素晴らしさと大変さを知った連員も多く、第2幕新生「共助連」の幕開けのために、進むべき道をみんなでさぐっていくための月例会となりました。

<2月例会に出席して>

LDの息子を抱えた我が家族が、伊澤先生と出会い、そして共助連と関わりだしたのは息子が13才のときからで、足かけ7年となる。
一冊のパンフレットを見たときから、私のお尻に火がついた。そして、伊澤先生に出会いLD児の特徴を伺った時に私の目頭が熱くなった。
この10数年間我が息子に対し、何も理解せず、世間でいう「常識」を押しつけていたのだと。彼の困難を共有するどころか、時には威圧的に、時には差別的に、また頭をたたいたりと、申し訳なかったと自責の念にかられ、涙がでた。
そして共助連を紹介され藁をもつかむ思いで(金)の月例会に参加した。
そこで出会った様々な境遇の連員・家族たち。なぜかそこに群れているのが心地よい。○○は△△をせねばならないという束縛はない。
一人一人ができる時にできる事をする=共助。障害や困難さを持った子供と直面している家族は、時に疲れ果て、つい「なぜ私たちだけ?」「自分はとても大変なんだ」「家族のことは口に出して語りたくない」などと思いがちではないだろうか。
そうするとこの会は成り立っていかない。
しかし18年という長い年月、生まれたての子供が一人前になってしまうほどの年月を共助連は歩み続けてきたということを改めて意識した時間・空間だった。
そして第一章が終わり、新たな出発への時が来たという。自前のカウンセリングルーム、事務局の設置、そこに行けば誰かが居る、様々な情報がある、参加できなかった定例会のVTRが見れる、お父さん・お母さん・子供たちの得意な分野での発表会、展示会・講習会ができる、さらにちょっとおいしいコーヒーや紅茶が飲める空間だったらいいなぁーなんて私なりの夢は膨らむ。
いつか共助連を卒業するのだろうかと思えば、子供が成長していくにつれ次々と課題は発生する。(中3の時は進路、高3の時は就職そして離職、再び求職…と)子供と程良い距離を保ちながら共助連と共に自らを成長させ、息子も大きく道をそれることなく、大勢の中であたたかく見守られ、学びながら生きていくのだろうと改めて考えたひとときでした。
(伊藤たえこ・記)

◆2002年1月例会

日時:2002年1月25日(金)午後7時〜9時。
場所:世田谷区砧図書館地下会議室
参加者:33名

テーマ:「スクールカウンセリングの現場から」

講師:小野 翠さん(世田谷区スクールカウンセラー、狛江障害者団体連絡協議会運営)

講演内容:(講師のレターより)
「皆さん、こんにちは。今、私は小学校の相談室で子供の話し相手をしたり、先生方と子供の様子について話し合ったり、また、保護者の方の育児相談を受け付けたりしています。また、発達に課題をもつお子さんについて、小学校の時期ということもあって、まだ課題を受け取りたくない保護者の方と先生の間に立って、学校で取り敢えず出来ることを話し合ったりします。他の所で成人の人とも接してみて 出来るだけ早くありのままの姿を解ってあげたいものと念じています。

<1月例会に出席して>

寒風吹き荒れる中、25日に砧図書館地下において1月の月例会がおこなわれました。講師は小野 翠先生で、アタシとしてはとても興味深いスクールカウンセリングのお話をして下さいました。
先生は講義後の質問にも快く御答えして下さって、ああ、つくづく来て良かったなぁと感じました。先生、本当にどうも有難うございました。
(DS連員/芦田哲太郎・記)

◆2001年11月例会

日時:11月24日(土)PM2:30〜PM4:30
場所:杉並産業商工会館

テーマ:「思春期、青年期の心と体の発達とその対応」

講師:畔上 理佐さん(国立大蔵病院カウンセラー、臨床心理士、発達共助連理事)

<内容>(講師のレターから)
「思春期についての話」ということで、自立に向けてこの時期をいかに過ごすかということを共に考えていける場となればと考えています。
「思春期」という時期について改めていろいろな側面から触れていくことでどんな時期であるかを大人の側、そして子どもの側の両面から考えていきたいと思います。
また、いろいろな状態像を示す時期なのでなかなか一般化できないこと、親世代と今の子ども世代との時代の違いなどに触れていきたいと思います。
体系だてた話というよりは、もう少し身近な問題として、いろいろな世代の方やいろいろな立場の方の意識の情報交換の場となれば・・・と期待しています。

<11月例会に出席して>

11月月例会「思春期の対応」は、「あなたの思春期はどんなものでしたか」「思春期にどんなイメージをもっていますか?」との問いかけから始まった。
畔上先生のそのような問いかけには、2つの意図とメ

ッセージが込められていたように思う。1つは、「思春期」に一般傾向はあるものの、実際には人様々であるという気づきを得ること。もう1つは、個別的な体験であっても、それを思い出し、振り返ることで、「思春期」にある人に向かう時に、何かのヒントになるというメッセージである。
そのような畔上先生のメッセージを受け、私自身の「思春期」を振り返ることで、この月例会の感想としたいと思う。

私の「思春期」は、どんな時期であったか。人より発達のゆっくりな私は、思春期の始まりも終わりも遅かったように思う。それは確かに、身体的に、社会的に、心理的に混乱の時期であった(社会的な混乱と心理的な混乱は今でも未解決・・)。
そして、「思春期」を通り抜けたその前と後とでは、何かが決定的に変わっている、と感じる。何が変わったのか?なぜそんなに混乱していたのか?
思春期が始まりは、「世界に疑いをもつこと」にはじまった。
“このまま子どもの世界が続くと思った、それなのに体が日に日に変化していく。大人になるんだ・・。”“今までの世界はなんてあたたかくて、安全なものであったのだろう、ずっとそこにいたい。”と同時に、“なんて箱庭のように狭くて庇護されたものだったのだろう、窮屈だ!”“私の考えだと思っていたのは周りの人の考えだったのではないか!私なんてどこにもないじゃないか!”
そのような気づきは、私を混乱させ、怒りと不安に陥った。それは、言葉ではなく、体の感覚だったため、さらに行き場が無かった。それが外に、つまり、行動となって現れると、親を議論で言い負かそうとしたかと思えば、一転して甘えてきたり。自分の世界に篭りがちになって、話さなくなったと思えば、イライラ当たってきたりする、というふうに見えただろう。
今思えば、全く思春期の典型的な状態である。しかし、本人は、自分だけの特別な体験で、孤独な戦いだと思っている。また、一時的な状態であるなんてまだ知らない。ただ不安と怒りの中にある。

しかし、幸いなことにそのような混乱は、その後、長い時間をかけて徐々に整理されていくことになる。周りに自分と同じイライラを抱える人がいるということを知る。その気になれば、自分の好きな物、好きな事、好きな人に出会えるということを知る。そうした関係と試行錯誤の中、ある日、「とりあえずの自分」がそこにあり、「親とは別の世界をつくっている」ことに気づく。その時に思春期は終わったのだと思う。
もちろん、思春期を終えた今も、「自分」も「自分の世界」は出来上がってはいないし、死ぬまで試行錯誤し続けるのだと思う。しかし、今はそれを楽しみに思うことが出来る。
もう一度、思春期に戻りたいかと聞かれれば、「死んでも嫌」と答えるだろう。でも、私にとって絶対に必要な時期であった、ということは言い切れる。
(DS連員/田幡陽子・記)

◆2001年10月例会

日時:10月27日(土)PM7:00〜9:00ごろ
場所:阿佐ヶ谷区民センター  参加者:24名

テーマ:「LD児への読み書き指導事例」

講師:奥村朋江さん(発達共助連理事・カウンセラ、国立大蔵病院成育心理外来カウンセラ)
<内容>(講師のレターから)
LDのもつ学力のつまずきの領域のひとつに「読み書き」があります。認知的なアンバランスを抱えるLDの場合、従来のやり方である「何度の書かせる」「何度も読ませる」といった教育方法では効果は上がらず、逆に苦手意識を強めてしまう結果となりがちです。では「どう教えるのか」「どんな教材を使うのか」「何を目標に指導を進めていくのか」…。
今回の月例会では私が担当する現在小5の男児に対して過去3年半行ってきた指導経過を報告し、これらの問題への考え方について、具体的に触れたいと思います。


<10月例会に出席して>

月末の夜は、主人がいないことも多く、“今回も行けないかしら”と思っていたのですが、なんとか息子を預けることができて、参加させていただきました。奥村先生には息子が5才の時からご指導いただいており、今回のお話しも興味深くお聞きしました。
LD児の持つ障害の中でも、「読み書き障害」について、実際の事例を交え、詳しく、具体的にお話しされ、大変わかりやすかったです。私もそうした子供の母でありながら、こういったお話を聞きますと、子供の持つ犠牲をきちんと理解する、ということに関しては、本当にまだまだ至らない、と痛感しています。
親は、こと自分の子供のことになると、“もっとできるはず”期待をかけすぎてしまったり、“なぜできないの” と悲しくなってしまったり・・・。やはり、専門の知識をもつ第三者の方に客観的に、見ていただくことの大切さを感じました。適切なサポートを必要としている子供たちはまだまだたくさんいて、一人一人、伸びていく可能性を十分持っているんですよね。大蔵病院に通うことのできた私たちは、本当に幸せです。これから、どうなっていくのか、少し不安ですが、今までお世話になりっぱなしでしたので、なんとか、自分ごととして積極的にに考えていかなくては、と思うのですが……。
もうひとつ、先生が“親があまり関わりすぎないこと”を挙げてらしたのが、心に残りました。私事で恐縮ですが、私は仕事をしているので、その分、息子に関われないのがとても負い目になっていたのですが、先日、学校公開があり、先生の対応が不十分だったので、私が出しゃばったところ、息子が怒って、「学校のことは僕に任せて!」と言いました。“ああ、今は親の出る幕ではないんだ”と思い、まだまだ心配ではありますが、息子は息子なりに自分は何とかしようとしているのだ、ということがわかって、うれしくなりました。それでは、親はどのように関わっていったらいいのか……。
親の課題は山積みです
奥村先生のお人柄、そしてご指導の的確さ、を改めて感じました。子供はもちろんのこと、親の気持ちにも寄り添ってくださり、また、子供達のために大きな流れを作ろうと活動してくださっていることも、本当にありがたく思いました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(記:高橋千春)

◆2001年9月例会

日時:9月21日(金)PM7:00〜9:15
場所:阿佐ヶ谷区民センター
参加者:22名

テーマ:「発達障害をもつ人の普通の生活をめざして」

講師:森佐登子さん(「泉の会」※事務局、YMCAトライアングルクラス相談員)
<内容>(講師のレターから)
障害を個性だと言い切ってしまうと、社会的責任や経済効率を応分に負担しなければ、一般社会では受け入れてもらえません。LD,ADHD,アスペルガ―、その他広汎性発達障害と診断されるこども達は、学齢期には特殊教育か普通教育かの狭間に立たされ居場所を失い、自立期には一般就労か福祉就労かの狭間に立って、いずれも自分に相応しいとは納得できない形で、生活の場を選択しなければなりません。
家庭でも、本人と家族が常に不安と期待に揺れながら、地域や行政の対応に一喜一憂することばかりです。
児童福祉法で守られている18歳未満までの学齢期と、それ以降では、この狭間の人達は「生きていく上で必要な力は何か」の認識を大転換するようになるのが常です。普通・特殊の何れの教育であろうと、学歴や教科成績のレベルがどうであろうと、障害者の手帳の有無に関わらず、「生きていく力」はソーシャルスキルとコーピングスキルを習得し、等身大の仲間のいる居場所を確保することに他ならないのです。発達共助連の理念と構想に共鳴しながら、「泉の会」活動5年の報告と今後の展望をお話したいと思います。
※LDと周辺領域を含む中・軽度知的障害の青少年を対象に、就労や生活自立の実現を支援する会


<9月例会に出席して>
泉の会・森佐登子さんのお話を聞いて森佐登子さんは、3人の子供さんをお持ちです。それどれ障害を持っており、児童相談所で現状を話されても、「もう少し様子をみましょう」とか「まま母、まま子」目でしか見てもらえずにいたということです。
この通信をご覧になっている多くの方々には、このような経験があるのではないかと思います。私もそのひとりです。私の知人数名には、成人しても社会に出ていけず「家で時間を過ごしている」ということを常々聞かされていました。
そのようなことがあるのかと思っていたのですが、我が子に障害があることが解り、7年が経過したのですが、義務教育の終了を目前にしてこのあとにはどのようになるのだろうという不安を抱いていたこの頃でした。失業者数の報告があるたびに増加しているというこの世の中で障害者はどのようにしていけばいいのでしょう。
・一定の就業者数を持つ事業所には障害者枠があります(障害者手帳を取得している
場合)
そういえばそんなものがあった。
・職業訓練が必要であれば職業リハビリテーションを受けることが出来る。
(障害者手帳を取得していれば安くあがる)
・自立支援が必要であれば、法律で制度化せれている。
森さん達の活動には法律を学び、理解することから、沢山のことがわかり支援しているということです。
それにはまず、「うちの子は知的障害があります」と児童相談所へ行くこと、次に「愛の手帳」の取得(サービスを受けることに大きな違いができる)をすることこのようなお話を伺いましたので私は、動き始めたところです。
森さんのプロフィールにもありましたが、「障害があっても充実した楽しい人生を過ごす」まさにその通りです。そう願っています。同性として森さんは、とても魅力的な方でした。
(記:渡辺久美子)

◆2001年7月例会

日時:7月21日(土) PM7:00〜9:30  
会場:阿佐ヶ谷区民センター
参加者:23名

テーマ:「小さな学校の大きな冒険〜宮澤学園高等部湘南校の実践〜」

講師:津田 昭彦さん(宮澤学園高等部湘南校主任)
内容:講師のレターから   
高等学校でも導入される総合学習では、教室の中での授業にとどまらず、多種多様な教材の準備が必要となるはずです。また、子供たちの多様化に伴って、生徒一人ひとりのニーズを満たすためには、今までの一斉形式の授業形態から、より細かい部分まで配慮された授業への転換が要求されてきます。宮澤学園高等部湘南校では、1997年の開校当初から新しい形での授業を展開し、生徒たちの興味や関心を引き出し、「本物を見せる、本物に触れる、本物から学ぶ」学習活動が行えるよう、彼らの将来を見据えた指導を行っています。次の時代を担う生徒たちに対して、「何が必要なのか」を考え、(私たちが教え込むことではなく)彼らが学ぶことできるものを考え、実践している湘南校の教育活動についてご報告すると共に、これからの教育のあり方を皆さんとご一緒に考えていくことができればと思います


<7月例会に出席して>
 
宮沢学園の湘南校は、現在180名で約7割が不登校、1割〜2割がLD、1割が、軽い知的障害の子供達だそうです。
 1学年1クラス制でお互いを理解し尊重し会える人間関係を作ることを目的として、全員担任制で生徒を複数の眼で見る生徒が話しやすい先生を選べるようになっているようです。
豊かな自然環境の中で本物に触れることを目的として、農業、陶芸、美術館巡りや、大工さん、漫画家などいろいろな分野の本職の方を招いての体験学習が多く取り入られているようです。
3泊4日の北海道スクーリングでは、ジャガイモ、トウモロコシの植え付けや木工、乗馬、カヌー、つりなど自炊しながらの体験学習。
 国際交流プログラムとして、サイパンに一週間のホームステイ、アメリカで10日間イルカと触れ合うエコキャンプなど希望者が参加できるようです。また、授業では、少人数制のチームティーチングやテーマや内容によって授業時間を長くとってより深い学習を行っているようです。
高校は義務教育ではないので、できるだけ子供に合った所を選んで上げたいと思ってました。社会に出る前の自由で楽しい学校生活を送りながら友達を作り、いろいろな体験をして、自分に自信をつけていってほしいと思います。
 宮沢学園の説明を聞いて常々こんな学校があればいいのにと思い描いていたようなお話しでした。卒業後も就職がうまく行かなくなったときや、再就職したいときにもサポートして頂けるとの事でした。このような学校があるということが、これから先のことを考える時にとても希望がもてる気がしました。
(記:福室春美)

◆2001年6月例会

日時:6月22日(金)PM7:00〜9:30
会場:阿佐ヶ谷区民センター
参加者:35名

テーマ:「自閉症の療育」

講師:武藤直子さん(全国療育相談センター・スーパーバイザー、親子相談センター代表
内容:講師のレターから…   
 自閉症は記憶力に比し、関係の理解につまずきをもっています。能力に凹凸があり、高いところに焦点を当て過ぎても、低いところに焦点を当てても、不適応を起こします。そうゆう意味では、LDやADHDの子供達と共通の圏内にいます。一番つまづきの現れている表象能力で、発達段階を分け、プログラムをたててかかわっていくと効果があります。当日は、太田ステージを紹介しながら、表現能力の発達と自閉症の療育についてお話しいたします。


<6月例会に出席して>

今回のお話は、今月から小学校の心障学級の介助をする事になった私のためにあるような話しでした。
自閉症をより深く理解することでひいては、今その子に何が必要なのかということがわかるのだと思いました。とくに問題行動が、起きたときについついその行動だけをとって「やめなさい」と言いがちなところがあります。
そんな時こそ、そのもとになっている要因を探し対処する事が大切なのだという基本的なことから考えさせられました。
子供ととても身近な私たちからそういう基本的な事を理解していかないといけないと思いました。
(DS連員/渡嘉敷唯之・記)

◆2001年5月例会


・日時:5月25日(金)PM7:00〜9:30
・場所:阿佐ヶ谷区民センター

・テーマ:「教育生活38年を終えて」

<講師>山崎 靖雄さん(旧世田谷区立砧中学校校長)
・テーマ:教育生活38年を終えて
<内容>山崎先生は、数年前、新聞でも報道されたほど問題の多発した砧南中学校を立て直され、砧中学では、長年の検案事項であった教育相談室を赴任されたその年に設置されたという実行力の持ち主。山崎先生はいつも校長とは誰からも思われないジャージ姿のスタイルで、プールにニジマス2000匹を放ち生徒、職員、地域の大人や子供も巻き込んだ釣り大会をするなどユニークな学校改革を実践され、子供達のみならず多くの大人達からも深い信頼を得ておられました。その先生が、ご経験に基づき「自己紹介」「いくつかの危機」「私を支えてくれたの」「大人の役割」の4点についてお話下さいました。

<5月例会報告>
私が山崎先生に月例会の講師依頼の電話を入れたのは、先生の退職直前3月末のこと。ご多忙極まりない時期にも関わらず、電話の声は穏やかで「私が話すことは何もありません」と、大変控えめでした。伊澤さんからも是非にと薦められていましたからと、少々強引なこちらのお願いを受けて下さいました。
さて、当日、先生ご自身の生い立ちから話が進められました。(私は内心では凄腕の先生が自分の生い立ち?と思っていました)
荒れに荒れた学校、殺人事件以外は何でもあった程の中学校を建て直したのは、圧力でも権力でもなく、山崎先生の人となりと、素晴らしい教師集団でした。
東京の下町に生まれ、戦後の混乱期、人と人が肩寄せ合って生きてきたのを見て育ち、さらにご両親から深い愛情を受けて育たれたことで、先生の中には、人を信頼するという人間関係の基本が、ごく自然の事として存在していたとのことでした。
このことが、「子供を信頼する」「教師を信頼する」「親を信頼する」そして家庭は「子供を信頼する」という先生の基本理念の原点であったようです。
今の世の中、少々の障害や困難があると、それは直ちに不信や不安、おそれ、ねたみに変わってしまいますが、「信頼」という基本を貫き通したことが、先生のすごいとところです。
また、校長という事務的にも対外的にも忙しい立場にありながら、常に学校の中を周り、部活や授業に参加されたとのこと。これは、先生の何でも自分の目で見、自分の手で触って確かめるという理念から実行されたこととのことですが、言うは易くで、なかなか実行できるものではありません。先生の中には、管理職という言葉は、全く存在しないかのようです。
こうした現実的対応により、子供の良さも、教師の良さも見え、共に「仲間」であるという意識を持った「教師集団作り」となり、信頼を具体的に示して行かれたのではないかと思います。
大人であっても、仲間から認められ、団結して問題に立ち向かうのは何よりもやり甲斐があるでしょう。そういう集団作りをされていかれたのです。
どんな年齢であろうと、子供は夫婦の関係から人の繋がりを学んでいく。この関係が揺らぐと、子供はうまく育っていかない。
山崎先生は、終始物静かに、こともなげに話されましたが、大変意義のある力強さを感じました。
今回の月例会に参加された方は、もう一度思い返して下さい。参加されなかった方はビデオで撮影してありますので、事務局から借りてご覧下さい。
山崎先生は、私たち連員に、親として、人間としてのあり方の提言を静かに力強く訴えられたと、私は感じました。
(高橋サカイ・記)